いつからだろう。自分が「普通」ではないと思うようになったのは。
小さい頃は、「自分が世界の中で多数派である」と信じて疑わなかった。というか、自分が多数派か否かという視点すら持っていなかった。
たぶん、最初に思ったのは、幼稚園のときだ。私は参観日が怖かった。知らない大人からジロジロ見られるのが怖かった。逃げ場がない感じがした。
幼稚園の先生は、そんな私を見て驚いていたっけ。いつもはしっかり者っぽい私が、弱々しく怯えていたから。
自意識の芽生えが早かったのだろうか。
さすがにその時点で「私は普通ではないんだ。」とは思わなかったけれど、違和感は感じたと思う。
みんな、楽しいふりをしているのだと思っていた。音楽に合わせてダンスを踊ることとか、参観日に親が見ている中で鬼ごっこすることとか。それが、どうやら違うらしいと徐々に気づいていった。
でも、幼稚園の時が一番明るかったと思う。根暗な私の最上級に明るいときだった。後にも先にもない。ああ、かなしいかな。
私がなりたい「普通の人」は、私の年齢(21歳)に相応な明るさを持っている人なのだと思う。
心を許せる友達がいて、一緒にカラオケ行ったり、さっとスマホを出して自撮りしたり。私は友達とカラオケなんて行ったことないし、写真撮られるの苦手だし、自撮りも虚しくなるからしない。できない。
中学生の時は、そんな変わっている自分を少し誇らしく思っていた。完全に厨二病である。「周りと違う私かっこいい」みたいな。本当に恥ずかしい限り。
でも今は、そう思えていた頃に戻りたい。考え方が幼かったとは思うけれど、今より自分のことが好きだった。ちょっと尖ってるくらいの方が、生きやすいのかもしれない。
「普通」になりたくて、みんなに合わせて笑ったり、全然共感できないのに「分かる〜」って頷いてみたり、必死に取り繕っている今の自分は心底嫌だ。
たぶん、みんなに合わせて笑っている時の顔は引きつっているし、「分かる〜」って頷いてる私の顔には、「全然分かってない」って書いてある。
取り繕っているのがバレバレで、「この人何考えているか分からない」と思われて、人が寄ってこないのだと思う。
大人になるということは、自分の恥ずかしさに気づくことなのだろうか。
今の私は、たぶん以前よりも大人になって、丸くなりすぎた。
いや、私は丸顔だし、最近食べすぎているが、物理的な意味ではない。(知ってる)
性格が丸くなりすぎた。「人と違う」に敏感になりすぎている。きっと「普通」なんてどこにも存在しないし、実体のない「普通」を追い求めても、ますます自分という存在がわからなくなるだけなのに。
どこに行っても馴染めない気がして、周りの人には「不思議な人」って言われて、「この人は私と居て楽しいのかな?」って常に考えてしまって。誰かと居ることを避けてしまって。
歳を重ねれば、もっと楽になるのだろうか。
こんなセンチメンタルな気分になっているのは、きっと今が、今後の進路を考えなければならないタイミングだからだ。
この気分の落ち込みは、きっと一過性だ。私はなんだかんだ打たれ強い。
周りと比べて、落ち込むだけ落ち込んで、それでも自分の気持ちに耳を傾け続けて、
そうやって生きていくしかない。

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